また、父親のケースでは、健康な膵臓の一部を切り取ることになるため、結果的に膵臓の機能も落ちる。現代医学においては、膵臓は一度壊れたら再生しない臓器と認識されている。言い換えれば、現代医学には膵臓を再生させる術がないのだ。要するに、膵臓に問題が無くても切ってしまえば結果的に糖尿病になってしまう、ということだ。それだけではない。80歳近い年齢からくる回復力の低下、免疫力の低下による感染症のリスク、精神的ショックからくる認知力の低下などなど、この先確実に待っているのは様々な試練であり、QOL=Quality of life(クオリティ オブ ライフ:生活の質)の低下は避けられない。これが医療の限界であろう。
調べてみると、THE EMPTY CHAIR という曲と出会った。 かのスティングが、ISISによって斬首された米国人ジャーナリスト James Foley のドキュメンタリー映画のために書き下ろした曲だそうだ。
If I should close my eyes, that my soul can see, And there’s a place at the table that you saved for me. So many thousand miles over land and sea, I hope to dare, that you hear my prayer, And somehow I’ll be there. 目を閉じると心に浮かぶ 君が僕に取っておいてくれたそのテーブルの居場所 陸海を幾千マイルも越えた遥か遠くで 君に僕の願いが聞こえればと強く思う 何とか帰り着くから
It’s but a concrete floor where my head will lay, And though the walls of this prison are as cold as clay. But there’s a shaft of light where I count my days, So don’t despair of the empty chair, And somehow I’ll be there. 何の変哲もないコンクリートの床に僕は頭を横たえるのだろう この監獄の壁は死体の様に冷たいけど それでも一条の光に身を寄せ僕は日々を指折り数える だから椅子に誰も座ってないからって悲観しないで 僕は何とか帰り着くから
Some days I’m strong, some days I’m weak, And days when I’m broken I can barely speak, The place in my head where my thoughts still roam, Somehow I’ve come home. 気を強く持てる日もあれば、弱気になったり 口もきけぬほど打ちひしがれる日もある でも頭の中の場所に今でも思いをめぐらせる どうにか帰り着いた家に
And when the Winter comes and the trees lie bare, And you just stare out the window in the darkness there. Well I was always late for every meal you’ll swear, But keep my place and the empty chair, And somehow I’ll be there, And somehow I’ll be there. 木々が葉を落とす冬が来たら 窓の外の暗がりに目を凝らしてごらん 食事の時間に僕はいつも遅れてたから君は文句を言うだろうけど 僕の場所と空の椅子はそのままに取っておいてね 何とか帰って来るから 僕は何としてでも