The Empty Chair

午前中に仕事を済ませ昼ごはんを食べた後、夏のひまわりを見に牛窓までドライブに行った。強い日差し。むせ返る草いきれ。青い空、青い海。太陽の光を求めて咲く、たくさんの向日葵。夏を感じさせてくれる光景だった。

生命のダイナミックな営みが、そこにあった。

太陽に向けて咲き誇る牛窓のひまわり

そのまま牛窓オリーブ園に向かった。春に桜を見に来て以来。瀬戸内海を一望できるこの見晴らしは、やはり格別である。何気なく、椅子越しの写真を撮った。

牛窓オリーブ園から瀬戸内海を望む

訃報

帰宅早々、知り合いの突然の訃報を耳にする。癌だった。

急いで着替えて弔問に向かった。ご遺体と対面し、焼香をあげさしていただいた。2ヶ月ほど前に、我が家でお会いしたときは、まさか亡くなるとは夢にも思わなかった、その人が、横たわっていた。ご本人も死ぬつもりはなかっただろう。僕より2歳も若い。二人のお子さんもまだ10代。さぞや無念であっただろう。

エンプティチェア

帰宅し、落ち着いた頃、ふと、言葉が浮かんできた。

「エンプティ チェア」
空いた椅子、という意味だ。何かメッセージがある。そう直感した。

調べてみると、THE EMPTY CHAIR という曲と出会った。
かのスティングが、ISISによって斬首された米国人ジャーナリスト James Foley のドキュメンタリー映画のために書き下ろした曲だそうだ。

Sting – The Empty Chair

If I should close my eyes, that my soul can see,
And there’s a place at the table that you saved for me.
So many thousand miles over land and sea,
I hope to dare, that you hear my prayer,
And somehow I’ll be there.
目を閉じると心に浮かぶ
君が僕に取っておいてくれたそのテーブルの居場所
陸海を幾千マイルも越えた遥か遠くで
君に僕の願いが聞こえればと強く思う
何とか帰り着くから

It’s but a concrete floor where my head will lay,
And though the walls of this prison are as cold as clay.
But there’s a shaft of light where I count my days,
So don’t despair of the empty chair,
And somehow I’ll be there.
何の変哲もないコンクリートの床に僕は頭を横たえるのだろう
この監獄の壁は死体の様に冷たいけど
それでも一条の光に身を寄せ僕は日々を指折り数える
だから椅子に誰も座ってないからって悲観しないで
僕は何とか帰り着くから

Some days I’m strong, some days I’m weak,
And days when I’m broken I can barely speak,
The place in my head where my thoughts still roam,
Somehow I’ve come home.
気を強く持てる日もあれば、弱気になったり
口もきけぬほど打ちひしがれる日もある
でも頭の中の場所に今でも思いをめぐらせる
どうにか帰り着いた家に

And when the Winter comes and the trees lie bare,
And you just stare out the window in the darkness there.
Well I was always late for every meal you’ll swear,
But keep my place and the empty chair,
And somehow I’ll be there,
And somehow I’ll be there.
木々が葉を落とす冬が来たら
窓の外の暗がりに目を凝らしてごらん
食事の時間に僕はいつも遅れてたから君は文句を言うだろうけど
僕の場所と空の椅子はそのままに取っておいてね
何とか帰って来るから
僕は何としてでも

歌詞和訳 Sting – The Empty Chair https://denihilo.com/the-empty-chair/

理不尽かつ暴力的な死に対して、最後まで抗い、生きようとした人の心境が、シンプルかつ繊細に表現されている。

癌に倒れた彼女も、おそらくはこのような想いを抱いていたのではないか。ご自宅に弔問させてもらって、その念というかなんというか、強く感じるものが、僕にはあった。

メメント・モリ(死を憶え)

人は死ぬ。必ず死ぬ。死によって肉体は消滅し、精神も消え去る。だが、魂に死はない。


魂にとって、死は一つの区切りに過ぎない。故に、事実として、死を過度に恐れる必要はない。だからと言って、生を重んじなくて良い、ということではない。

むしろ、死があるからこそ、今生の生を大切にすることができる。死を恐れず、生に執着せず、死を迎えるその瞬間まで、自分を幸せにして、生き切る。

気づきを与えてくれたことに深い感謝と哀悼を捧げながら、僕は改めて、自分のすべきことと向き合う覚悟を深めた。