なぜ人々はオリンピックに熱狂するのか

tokyoolympics2020

世間と自分との温度差

オリンピック開幕前の猛批判は何処へやら。連日の金メダルラッシュに多くの日本人が熱狂しているように見える。

僕も、開会式を録画で観るほどには注目している。ピクトグラムとドローンは秀逸だと思ったし、感動もした。卓球のミックスダブルスペアは微笑ましいと思ったし、スケートボードの堀米選手の意識の高さは感心させられた。だが、正直日本人選手がメダルを取ったからといって、それほど強く感情が揺さぶられることはない。

僕が熱中して観たのは、長野オリンピックくらいまで。それ以降の大会は、ほぼ視聴しておらず、開催地もメダリストも、うろ覚えである。なぜかと言われれば、単純に興味が湧かなくなったからである。あと、そもそもあまりテレビを観なくなったという理由もある。

オリンピックだけではない。思い出してみれば、サッカーも、F1も、テニスも、野球も、ゴルフも、昔は日本人選手の活躍に心踊らされていた時期が確かにあった。それらもいつの間にか熱がなくなった。

最近では、2019年日本開催のラグビーのW杯が記憶に新しいが、僕は1秒も観ておらず、ニュースで流れる熱狂もいまいちピンとこず、流行語大賞まで取っていることから、よほどのことが起きたんだな、と後から認識したくらい。

この熱狂はなんだ?

自分と縁もゆかりもない人が、自分がよく知らない競技で頑張っている姿を、それがただ日本人だからという理由だけで、まるで我が事のように応援する。冷静に、客観的に見るとちょっと不思議な感覚を覚えるのだが、ほとんどの人は、このことに疑問すら抱かないのではないだろうか。なぜ僕は熱狂できないのだろうか。彼らと僕とは何が違うのだろうか。このことについて考察してみると、いくつか見えてくるものがある。

日本人というアイデンティティ

一つ目は、日本人というアイデンティティである。アイデンティティについては、以下に引用する。

アイデンティティとは「自他共に認める自分像」です。
「自分はこういう人間だ」という自己イメージの中で、自分自身が誇りや自信を持てる自分像。かつ「あなたはこういう人間ですね」と自分以外の人から認められている自分像。

アイデンティティとは

つまり、彼らは「私は日本人だ」と思っている。なんだ、当たり前のことじゃないか。あなたはそう言うかもしれない。だが、それはあなたが自分と日本人と同一視していることを意味する。だから、同じ日本人の活躍を我が事のように喜べるのだ。僕にはこれが、無い。

確かに、僕は日本人だし、日本国籍だし、日本語を母国語としている。が、これらは、僕の肉体の特徴を表してはいるものの、僕そのものでは無いのだ。

ミラーニューロン

二つ目は、ミラーニューロンである。ミラーニューロンについては以下に引用する。

ミラーニューロン(英: Mirror neuron)とは、霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように”鏡”のような反応をすることから名付けられた。

ミラーニューロン

例えば、人が歩いているのを見ると、自分の歩いている時の神経細胞も活性化する、と言うことである。なぜこんな仕組みがあるのか。それは群れを作るためである。猿から進化した人間は、集団行動をすることで万物の霊長となった。単独では自然界の数々の脅威に対処できないが、強い群れの中に居ることで生存確率はぐっと上がる。このために必要なのが共感能力であり、言語が生み出されるはるか以前からこのミラーニューロンが発達してきたのだ。

多くの動物たち同様、猿から進化した人間にも縄張り意識がある。自分が属している群れのメンバーの活躍は、縄張りの強固さや縄張りの拡大を感じさせる。これは本能的な生存圏の安定を意味する。不安が解消され、大いなる喜びが湧き上がる。オリンピックと言う国際間の争いにおける日本人の活躍は、この原始的感情が大いに刺激される、と言うわけだ。そして、僕にはこれが、無い。

僕にミラーニューロンがないとか、そう言う話ではない。正直、僕の本能的な縄張り意識は相当なものだと自覚して居る。だが、日本人という群れに属している感覚が無いのだ。だから、日本人選手が金メダルをとっても、すごいと思うし感動もするが、いい意味で、どこまでいっても僕には他人事なのだ。

孤立と自立

アイデンティティとミラーニューロン。この二つに共通するのは、自分という基盤の脆弱さからくる孤独・孤立を回避する働きだと言える。結局のところ、この両者は、同一化現象を心理学的に見るか、脳科学的に見るかだけの違いなのかもしれない。

いずれにせよ、群れることで生き延びてきた人間にとって、孤立は死に直結する最も恐ろしい状況だということなのだろう。

魂感自在に達した僕は、この恐怖から解放されている。自分の存在基盤を、自分自身に置き、日本、あるいは日本人であることに置いていない。つまり、自立している。これが決定的な差を生み出している。だから、感情的にコントロールされず、フラットにオリンピックを楽しむことができるのだ。