雨上がり決死隊解散に学ぶ「風の時代」の生き方

雨上がり決死隊解散

2021年8月17日、雨上がり決死隊が解散を発表した。個人的にものすごい衝撃を受けた。この十数年こそテレビを見ていないものの、子供の頃から僕は根っからのテレビっ子で、特に無類のお笑い好きだった。特段、雨上がり決死隊のファンというわけではなかったが、かたっぱしからお笑い番組を見ていたし、アメトークも初回から見ていた記憶がある。

限定公開されていた、アメトーーク特別編 雨上がり決死隊解散報告会をYuouTubeで観た。様々な感情が入り乱れた。かなりの人たちが視聴したようで、テレビでもネットニュースでも大きく扱われ、賛否両論が巻き起こった。何百万人の人が放送を視聴し、数千万人の人がこのニュースを知った。それだけ世間の耳目を集めた出来事だったのだ。

とてつもない喪失感と覚悟

番組終盤、FUJIWARAのフジモンが、泣きながらにコメントしているのが印象的だった。あれは、なくなるはずのないものが、なくなってしまう、そのとてつもない喪失感に対する素直な気持ちの表れだと感じた。何年かかってもいいから再結成してください、と懇願するフジモンの気持ちもよくわかる。だが、それは決してないだろう。そのあとの覚悟の完全に決まり切った蛍ちゃんの表情と言葉が、明確に決別と前進の意思表示をしていたからだ。完全に区切りをつけた人の顔だった。ああ、次のステージへ進むのだな、と。

どの立場でどう受け取るか

今回に限ったことではないが、彼らの生き方や出した結論に対して賛否を論ずることに意味はない。宮迫博之には宮迫博之の人生があり、蛍原徹には蛍原徹の人生がある。完全に彼らだけのものである。他人の人生にとやかくあーだこーだ言うより、観る側がどの立場でどう受け取るか、そして何を学びどのような気づきを得て、自分の人生に活かすかが重要である。

僕は、魂感自在という生き方を伝える立場として、学びの姿勢で受け取ろうという意思を持って観た。

僕が受け取ったもの

本人たちにそのつもりは全くないと思うが、僕にはあの放送の登場人物たちは、少なくともこの数年、いや、おそらく今までの人生をかけて、観る人たちに重要なメッセージを伝えようとしているように感じた。一連の騒動は、最初から仕組まれた(実際には自分たちで仕組んだ)劇である、と。そして、そのテーマは時代の変わり目、つまり地の時代から風の時代への移行である。

200年に一度の時代の変わり目

西洋占星術では、約200年周期で時代のエレメント(元素)が変化する、とされている。その元素は、

の4つ。

それまで約200年続いていたのが「地の時代」。それが「風の時代」へ移行する。この時代の変わり目には大きなパラダイムシフトが起きる。パラダイムシフトとは、その時代において当然と考えられていた常識や社会全体の価値観などが、劇的に、革命的に変化することを指す。つまり、地球規模で常識がことごとく覆るのだ。

地の時代
地の時代は18世紀くらいから始まり、産業革命が始まる頃に完全に幕が開けた。地の時代の特徴である、物質的な豊かさや生産性、基盤、安定を象徴している出来事である。
風の時代
風の時代は20世紀後半から始まり、本格的に始まったのが、2020年12月22日だとされている。情報、体験、目に見えないもの、革新、循環といったものが特徴である。

地の時代と風の時代の対比

旧時代である「地の時代」の象徴となったのが、アメトーークという番組、テレビ朝日というテレビ局、吉本という芸能事務所、所属という働き方、芸人という肩書き、雨上がり決死隊という屋号(コンビ名)。

これからの時代である「風の時代」の象徴がYouTubeという動画共有プラットフォーム、独立、自立、個人である。

僕や彼らのような世代は、生まれた時から風の時代になっている若い世代と違い、地の時代でのキャリアをしっかり積んだ上で、風の時代に合わせた生き方へのシフトを強いられている。時代の変わり目に生きている人の、避けられない宿命である。その中で、一人一人が足掻いてもがいて、様々な選択や決断をしていかなければならない。その葛藤や苦悩の模様が、アメトーーク特別編 雨上がり決死隊解散報告会で繰り広げられていたのだ。

長くなったので、次回に続く。