逆説の10ヶ条

何か強い困難に見舞われた時
不条理な出来事に遭遇した時
僕はこの逆説の10ヶ条を思い出します。
物事にはポジティブな側面とネガティブな側面が必ずあります。
どちらか一方だけしか見ない在り方は
不幸を創り出します。
ニュートラルに視点に立つ。
これが本当に大事です。

逆説の10か条

  1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。
  2. 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
  3. 成功すれば、嘘の友達と本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。
  4. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
  5. 正直で率直な在り方はあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
  6. 最大の考えを持った最も大きな男女は、最小の心を持った最も小さな男女によって打ち落とされるかもしれない。それでもなお、大きな考えを持ちなさい。
  7. 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。
  8. 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築き上げなさい。
  9. 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。
  10. 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

(ケント・M・キース)

HIRO

僕はこれまでうつ病を始め生き死にに関わるような状態を何度も経験してきました。ずっとずっと幸せについて深く深く探求してきました。本を読みセミナーを受け、なんだかんだやり尽くし行き着いたのは、幸せには、お金持ちになったらとか成功したらとか結婚したらとか、全然関係ないということです。

皆さんも子供の頃を思い出してみてください。何が幸せかなんて悩むこともなくただただ幸せだったと思いませんか?

それがいつの間にか晴れやかな晴天のような気持ちがなくなってしまう。なぜなんだろう?僕が思うに、それは執着が原因だろうと。それが年齢を重ねるごとに増えていていくのだろうと。

執着というのは、あの人に認められたいだとか、あの人に好かれたいだとか、お金が欲しいとか、そう言ったいろんなものですね。これ別に執着が悪いものだというわけではないんです。ただ自分が求めていない執着にとらわれてしまうとどんどん心が曇ってくる。

繰り返しになりますが、僕は執着が悪いのだと言いたいのではありません。これって人の生存本能なんです。人間って群れを作る生き物なので、誰かと一緒にいないと危機感を感じるようにできています。生命の危機だと。あの人に嫌われてる。属している組織の中でこれを感じるとめちゃくちゃやばいわけですよ。もし群れから追い出されたら生きていけないですから。襲われてすぐ死んじゃうんで。だから、他人からどう思われるかを無茶苦茶気にするんです。だから執着するなって土台無理なんですよ。

ただ、僕が今までの人生で悟ったことは、本能を満たすことが人の幸せとは限らない、ということなんです。本能は人間が種として生き残るにはとても重要で役に立つんですが、個人の幸せに焦点を当てると必ずしもそうじゃやない。これが現代社会に生きる人達におきていることなんだなと思うわけです。

では、何が人の幸せなのでしょう?僕はこう定義しました。肉体を愛し、精神に平和をもたらし、魂の喜びを得るために集中して取り組みながら生きる。これが幸せ。

今、僕は幸せです。

これまでの経験で得たものを、惜しみなく幸せになりたい人たちに教えたい、そしてこの喜びを共に味わいたいと心から願っています。